焼き戻し温度の選び方──低温・中温・高温で何が変わるか

熱処理

焼き入れの後に行う焼き戻しは「温度を上げるほど硬さが落ちる」と単純に思われがちですが、実際はそれほど単純ではありません。150℃と200℃では組織変化が違い、300〜450℃帯には「焼き戻し脆性」という落とし穴があります。SKD11のような工具鋼では二次硬化(500℃超で再び硬さが上がる)現象もあります。焼き戻し温度の選択は「硬さ vs 靱性」のトレードオフを理解した上で用途から逆算するものです。

焼き戻し温度域と変化の概要
温度域名称主な組織変化硬さへの影響主な用途
150〜200℃低温焼き戻しマルテンサイトの格子ひずみ緩和、ε-炭化物析出ほぼ維持(HRC −1〜2)工具鋼・金型鋼・軸受鋼
200〜300℃低〜中温の移行域ε-炭化物→セメンタイト(Fe₃C)へ変化やや低下(HRC −3〜5)特殊な用途に限定
300〜450℃⚠️ 焼き戻し脆性域粒界へのリン・硫黄の偏析、炭化物の粒界析出低下するが脆性最大基本的に避ける温度域
500〜700℃高温焼き戻し(調質域)セメンタイトの球状化・凝集、残留応力ほぼゼロ大幅低下(HRC −15〜30)機械構造用鋼の調質
500〜600℃(工具鋼)二次硬化域Mo・W・V炭化物の微細析出で硬さが回復一度下がった硬さが回復SKD11・SKH51などの高合金鋼

低温焼き戻し(150〜200℃)——工具鋼の標準

焼き入れ後の高炭素マルテンサイトは硬いが脆く、そのままでは実用に耐えられません。低温焼き戻しではε(イプシロン)炭化物の微細析出によって格子ひずみが一部緩和され、残留応力(特に遅れ割れに関わる引張応力)が20〜30%低減されます。硬さの低下は1〜2HRC程度で、耐摩耗性はほぼ維持されます。

SKD11・SKH51・SUJ2などの高炭素工具鋼・金型鋼は、この温度域が標準です。工具の使用中に温度が200℃を超えると「自己軟化」が起きるため、加工発熱や使用温度との対比も重要です。

焼き戻し脆性域(300〜450℃)——意図せず通過させてはいけない

300〜450℃は「第一種焼き戻し脆性(不可逆)」と呼ばれる危険な温度域です。この温度で焼き戻しすると、粒界にリン・硫黄・アンチモンなどの不純物元素が偏析し、粒界が脆化します。SKD11に代表される工具鋼でこの温度域を使うと、靱性が焼き入れ直後より低くなります——硬さが落ちているのに靱性も低い、最悪の組み合わせになります。

注意 SKD11を300℃で焼き戻しすることは基本的に禁止。低温焼き戻し(150〜180℃)か、二次硬化を利用した高温焼き戻し(510〜530℃)のどちらかを選ぶ。300〜450℃は通過させる場合でも長時間保持しない。

高温焼き戻し(500〜700℃)——調質と靱性確保

機械構造用鋼(SCM440・SNCMシリーズ)を軸・歯車に使う場合、500〜650℃の高温焼き戻しで「調質(QT)」します。セメンタイトが球状化・凝集し、転位密度が大幅に低下します。硬さは大幅に落ちますが(35〜48HRC程度)、靱性・延性が高まり、衝撃荷重への耐性が向上します。

この温度域で問題になるのが「第二種焼き戻し脆性(可逆)」です。Cr・Mn含有鋼を400〜600℃でゆっくり冷やすと、再び粒界偏析が起きて脆化します。対策は焼き戻し後に急冷(水冷・油冷)することで逆転できます(「可逆」はここからきます)。

二次硬化(高合金工具鋼)

SKD11・DC53・SKH51などの高Mo・W・V含有鋼は、500〜550℃の高温焼き戻しで「二次硬化」が起きます。Mo₂C・W₂C・VCなどの微細な合金炭化物が析出し、一度落ちた硬さが回復します。SKD11では530℃焼き戻しで62〜64HRCになることがあります。この二次硬化を利用する場合、焼き戻しを2〜3回行うことで残留オーステナイトを減らしながら安定した高硬度を確保できます。

用途別 推奨焼き戻し温度

用途・材料推奨焼き戻し温度目標硬さ注意点
冷間金型鋼(SKD11・DC53)150〜180℃(低温)または
510〜530℃(二次硬化)
58〜62HRC(低温)
62〜64HRC(高温)
300〜450℃を避ける
高速度工具鋼(SKH51・粉末ハイス)540〜560℃(2〜3回)63〜65HRC二次硬化活用。複数回焼き戻し推奨
軸受鋼(SUJ2)150〜180℃60〜64HRC寸法安定性のためサブゼロ処理も検討
機械構造用鋼(SCM440等)の調質550〜650℃28〜38HRC焼き戻し後は急冷(第二種脆性防止)
熱間金型鋼(SKD61)550〜650℃44〜50HRC使用温度より高い温度で焼き戻し

選定ミス事例

SKD11を350℃で焼き戻し——硬さも靱性も最悪の状態
状況冷間パンチ(SKD11)の設計変更で「靱性を上げるため焼き戻し温度を上げる」という判断をした。低温焼き戻し(180℃→58HRC)から「中間的な」350℃に変更。結果、硬さは53HRCに低下したが、使用中の欠損は減らず、むしろ増えた。
原因350℃は焼き戻し脆性域(300〜450℃)のど真ん中。硬さは53HRCまで落ちたが、粒界脆化によって靱性は180℃焼き戻し品より低下している。「温度を上げれば靱性が上がる」というイメージが焼き戻し脆性域の存在を無視した判断につながった。
対策SKD11は150〜180℃(耐摩耗優先)か510〜530℃(靱性優先・DC53なら62〜64HRC維持)の2択。欠けが問題なら材料自体をDC53(高靱性)に変更することも検討する。

まとめ

  • 焼き戻し温度は低い(150〜200℃)と硬さを維持、高い(500〜700℃)と靱性が高まる
  • 300〜450℃の焼き戻し脆性域は工具鋼では基本的に避ける温度域——硬さも靱性も悪化する
  • SKD11・SKH51など高Mo・W鋼は500〜550℃での二次硬化を利用し、高硬度と靱性を両立できる
  • 機械構造用鋼(SCM440等)の調質は550〜650℃の高温焼き戻し——焼き戻し後は急冷で第二種脆性を防ぐ

コメント