「焼入れ・焼戻しは完璧にやった。硬さも規格値どおり。なのに衝撃試験で割れた——」
これが焼戻し脆性の本当の怖さです。引張強度や硬さは正常なのに、衝撃や振動に対してだけ脆くなります。破壊は突然やってきます。
この記事では、「どの鋼種で」「どの温度域で」「どんなトラブルになるか」を中心に、焼戻し脆性の2種類をやさしく、かつ実務で使える粒度で解説します。
通常の脆性破壊は「硬くて割れやすい=脆い」とわかります。しかし焼戻し脆性が起きた鋼では、引張試験をしても数値は正常です。靱性(衝撃吸収エネルギー)だけが低下しているため、静的試験では見逃されます。衝撃・振動・急冷・低温環境で初めて破壊が現れます。
焼戻し脆性の2種類:温度域と鋼種で整理する
| 種類 | 温度域 | 別名 | 主な原因 | 可逆性 | 影響が大きい鋼種 |
|---|---|---|---|---|---|
| 低温焼戻し脆性 | 250〜350°C | 第1種焼戻し脆性 ブルーブリトルネス | マルテンサイト分解時の 炭化物粒界析出 | 不可逆 (一度脆化すると戻らない) | S45C、SCM440、SKD11など 炭素鋼・合金鋼全般 |
| 高温焼戻し脆性 | 450〜550°C (徐冷時) | 第2種焼戻し脆性 ニッケルクロム脆性 | P・Sb・Sn・Asの 粒界偏析 | 可逆 (急冷で改善できる) | SNC材(Ni-Cr鋼) SNCM材(特に大型品) |
低温焼戻し脆性は「250〜350°Cを使わなければ防げる」という比較的シンプルな問題です。一方、高温焼戻し脆性は「550°C以上で焼戻しした後の冷却速度」という工程の後半で決まる問題であり、現場でうっかり見逃されやすいです。
低温焼戻し脆性:250〜350°Cが危ない理由
焼入れ後のマルテンサイトを250〜350°Cで焼戻しすると、マルテンサイトの分解に伴ってε炭化物や薄膜状セメンタイトが結晶粒界に優先析出します。この炭化物膜が粒界を脆弱化し、衝撃破壊が粒界に沿って伝播しやすくなります。
この脆化は温度域を避けるしか手がなく、一度この温度で焼戻しした鋼を再加熱しても元に戻りません(不可逆脆化)。
低温焼戻し脆性が起きやすい場面
図面に「HRC 40〜45程度」と書かれた場合、この硬さを得るために250〜350°Cで焼戻しすることがあります(炭素量によって変わりますが、S45Cでは焼戻し温度300°C前後でHRC 45付近になることがあります)。
硬さ指定だけを見て温度を決めると、意図せず脆化温度域に入ることがあります。「硬さが出た=安全」ではありません。
高温焼戻し脆性:なぜNi-Cr鋼で問題になるのか
高温焼戻し脆性は、450〜550°Cの温度域に長時間保持するか、高温から徐冷(炉冷・空冷)した際にこの温度域をゆっくり通過するときに起きます。
メカニズム:P・Sb・Snが粒界に集まる
鋼に微量含まれるリン(P)・アンチモン(Sb)・スズ(Sn)・砒素(As)などの不純物元素が、450〜550°Cの温度域で結晶粒界に拡散・偏析(濃集)します。これらの元素が粒界に集まると、粒界の結合力が著しく低下します。
なぜNi-Cr鋼(SNC・SNCM)が特に敏感か
ニッケル(Ni)とクロム(Cr)は焼入れ性や強度向上に大きく寄与する一方で、PやSbなどの不純物元素の粒界偏析を促進する作用があります。これがNi-Cr鋼系でこの脆性が「ニッケルクロム脆性」とも呼ばれる理由です。
モリブデン(Mo)には、PやSbの粒界偏析を抑制する効果があります。そのためSNCM鋼(Ni-Cr-Mo鋼)はSNC鋼より脆化感受性が低くなります——ただしゼロではありません。
鋼種別の脆化感受性と実務上の判断基準
| 鋼種 | 低温脆性感受性 (250〜350°C) | 高温脆性感受性 (450〜550°C徐冷) | 実務上の注意点 |
|---|---|---|---|
| SNC415 / SNC631 / SNC836 (Ni-Cr鋼、Mo無添加) | 中程度 | 高い | 高温焼戻し後は必ず油冷または水冷。大型品・厚肉品ではこれだけで問題になることがある。現在は新規設計での採用を避け、SNCM系を推奨 |
| SNCM220 / SNCM420 / SNCM439 (Ni-Cr-Mo鋼) | 中程度 | 中程度 (Moの効果あり) | Moの抑制効果があるが、大型品・焼戻し後の炉冷は禁止。クランクシャフト・大型シャフトでは急冷工程を仕様書に明記する |
| SCM440 (Cr-Mo鋼) | 中程度 | 低い | 高温脆性リスクは低い。ただし250〜350°C焼戻しを要求される中間硬さ指定では低温脆性に注意。HRC 40〜45付近は要確認 |
| S45C・S50C (炭素鋼) | 低〜中程度 | 低い | 合金元素が少なく高温脆性リスクは低い。低温脆性温度域の250〜350°Cを使う場面(中硬さ仕上げ)では靱性低下を確認する |
| SKD11(冷間ダイス鋼) (高C-高Cr鋼) | 高い | 低い | 焼戻し温度は180〜220°Cまたは500〜520°Cが標準。300〜400°Cの「中温焼戻し」は低温脆性の危険域で避ける |
| SKH51(高速度工具鋼) (Mo系ハイス) | 低い | 低い | 焼戻しは550〜570°Cを3回繰り返すのが標準。この温度域でも高Mo含有のため高温脆性は問題になりにくい |
「強度が出ているのに壊れた」——実務トラブル事例
焼戻し温度と靱性の関係(グラフ)
下グラフはNi-Cr-Mo鋼(SNCM系)の焼戻し温度とシャルピー衝撃値の関係を模式的に示しています。硬さ(黒)はなめらかに下がっていくのに対し、靱性(青)は2か所の温度域で谷を作ります。
防止対策:何をいつ・どの鋼種でやるか
| 対策 | 対象脆性 | 対象鋼種 | 具体的な方法 | 効果 |
|---|---|---|---|---|
| 250〜350°C焼戻しを避ける | 低温脆性 | 炭素鋼・合金鋼全般 特にSKD11 | 200°C以下または400°C以上に焼戻し温度を設定する | ◎ 最も確実 |
| 高温焼戻し後に急冷(油冷・水冷) | 高温脆性 | SNC・SNCM材 全般 | 焼戻し炉から出したら速やかに油槽へ。大型品は特に注意 | ◎ 最も有効 |
| Mo添加鋼を選択する | 高温脆性 | SNC → SNCM系 に変更 | 新規設計ではSNC材を採用しない。既存品はSNCM系への置き換えを検討 | ○ リスク低減 |
| 高純度鋼(低P・低Sb)を指定 | 高温脆性 | 大型構造用鋼 | ミルシートでP量を確認。P≦0.010%品を指定することも可能 | ○ 偏析元素を減らす |
| シャルピー衝撃試験を仕様に含める | 両方 | 衝撃・振動用途の 構造部品 | 硬さ検査だけでなく衝撃試験値(J/cm²または吸収エネルギーJ)を合否判定条件に加える | ○ 流出防止 |
焼戻し後に急冷すると、今度は熱応力による割れ(焼戻し割れ)のリスクが生まれます。特に大型品・複雑形状品では、焼戻し後急冷で材料内部に温度差が生じ、歪みや割れが起きることがあります。
実務的には「形状・サイズが許すなら油冷、割れリスクがある場合は強制空冷(ファン冷却)+Mo添加鋼の組み合わせ」で折り合いをつけることが多いです。
実務チェックリスト
- 焼戻し温度が250〜350°Cに入っていないか(特に「中間の硬さ」指定のとき)
- SKD11の焼戻しが300〜450°C付近に設定されていないか
- SNC材・SNCM材の焼戻し後冷却方法が「炉冷・放冷」になっていないか
- 大型品(断面積が大きい品)で高温焼戻し後の冷却速度が確保できているか
- 合否判定が「硬さのみ」になっていないか(衝撃用途ならシャルピー試験を追加する)
- SNC材を使用している場合、SNCM系へ変更できないか検討したか
- 焼戻し条件(温度・時間・冷却方法)が熱処理指示書・仕様書に明記されているか
まとめ:焼戻し脆性で押さえておきたいこと
- 焼戻し脆性には低温型(250〜350°C)と高温型(450〜550°C徐冷)の2種類がある。
- 最大の落とし穴は「引張強度・硬さは合格なのに、靱性だけが低下している」こと——通常の検査では見逃される。
- 低温脆性は炭素鋼・合金鋼全般(特にSKD11)で起こりえる。250〜350°C使用禁止が基本ルール。
- 高温脆性はSNC・SNCM材(大型品)で特に問題。焼戻し後の急冷(油冷・水冷)が最も有効な対策。
- Mo添加(SCM440・SNCM系)は高温脆性リスクを下げるが、冷却条件の管理は依然として必要。
- 仕様書には焼戻し温度だけでなく「冷却方法」まで明記する。「任意冷却」はリスクの放置と同義。


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