溶射コーティングをやさしく解説:WC-CoとCr₂C₃の使い分けと耐摩耗性
溶射コーティングは、高速の熱流体で溶融・半溶融させた粉末を基材に吹き付けて皮膜を形成する技術だ。耐摩耗コーティングで最も多用される2つがWC-Co(炭化タングステン—コバルト)とCr₂C₃-NiCr(炭化クロム—ニッケルクロム)で、どちらも超硬系のサーメット皮膜だが適用温度域がまったく異なる。常温〜500℃ならWC-Co、500℃を超えるならCr₂C₃-NiCrという大原則を軸に、選定の根拠と注意点を整理する。
溶射の種類と特徴
| 溶射方式 | 粒子速度 | 皮膜品質 | 主な用途 |
|---|---|---|---|
| HVOF(高速フレーム溶射) | 600〜900 m/s | 高密度・低気孔率(1%以下) | WC-Co・Cr₂C₃の主流方式 |
| プラズマ溶射(APS) | 200〜400 m/s | 中密度・気孔率2〜5% | セラミック(Al₂O₃・ZrO₂)・遮熱コーティング |
| フレーム溶射 | 50〜200 m/s | 低密度・気孔率5〜15% | 補修・安価な防食用途 |
| コールドスプレー | 500〜1200 m/s | 高密度・酸化なし | 銅・アルミ・導電性皮膜 |
WCは高温になるとW₂C(炭素欠乏相)やη相に変質し、硬さと耐摩耗性が大幅に低下する。HVOFは燃焼ガスで加熱しつつ超音速で吹き付けるため、粒子の滞空時間が短く酸化・脱炭を抑えられる。プラズマ溶射でWC-Coを施工すると皮膜硬さが大きく下がるため、WC-Coには原則HVOF方式を選ぶ。
WC-Co vs Cr₂C₃-NiCr 成分・特性比較
| 特性 | WC-Co(HVOF) | Cr₂C₃-NiCr(HVOF) |
|---|---|---|
| 主成分 | WC 83〜88% + Co 12〜17% | Cr₂C₃ 75〜80% + NiCr 20〜25% |
| 皮膜硬さ | 1000〜1300HV | 850〜1000HV |
| 使用温度上限 | 約500℃(酸化・脱炭が始まる) | 約900℃(高温安定性が高い) |
| 耐摩耗性(室温) | ◎ 非常に優れる | ○ 優れる |
| 耐摩耗性(高温) | △ 500℃超で急低下 | ◎ 900℃まで安定 |
| 耐食性 | △ Coが溶出しやすい(酸性環境) | ○ NiCrが耐食バインダーとして機能 |
| 皮膜密度 | 14〜15 g/cm³ | 6〜7 g/cm³ |
| 膜厚範囲 | 100〜400μm | 100〜400μm |
室温での耐摩耗性はWC-Coが上。ただし500℃を超える環境ではWCが酸化・脱炭してWO₃になり急激に劣化する。この温度境界を超えるかどうかが選択の分岐点。
使い分け判断軸
| 判断軸 | WC-Coを選ぶ | Cr₂C₃-NiCrを選ぶ |
|---|---|---|
| 使用温度 | 常温〜500℃以下 | 500〜900℃ |
| 摩耗環境 | アブレシブ摩耗(砥粒・スラリー)が支配的 | 高温スライディング摩耗・フレッティング |
| 腐食環境 | 中性〜弱アルカリ(酸性は避ける) | 酸化雰囲気・高温腐食がある場合 |
| 典型用途 | 印刷ロール・製紙ロール・航空機ランディングギア・スリーブ | 製鉄炉ロール・排気系バルブ・ガスタービン部品・高温スライド面 |
| 代替前処理 | 硬質クロムめっきからの代替(環境規制対応) | 高温環境の溶射更新・耐熱皮膜の強化 |
代替可否マトリクス
| 変更方向 | 可否 | 条件・注意点 |
|---|---|---|
| WC-Co → Cr₂C₃-NiCr(温度上昇対応) | ○ 可 | 室温硬さはやや低下。摩耗寿命の再評価が必要 |
| Cr₂C₃-NiCr → WC-Co(コスト削減) | △ 条件付き | 使用温度が500℃以下であることを確認すること |
| 硬質クロムめっき → WC-Co(HVOF) | ○ 可 | HVOFはRoHS対応・環境負荷低減の代替として推奨。膜厚設計の見直し要。硬質クロムの1000〜1100HVに対しWC-Coは1000〜1300HVで同等以上 |
| WC-Co → WC-CoCr(耐食強化) | ○ 可 | Crを5〜10%添加したWC-CoCrは耐食性が改善。海水・弱酸性環境に有効 |
| 溶射 → PVD/CVD(薄膜化) | △ 条件付き | PVD/CVDは5μm以下の薄膜。溶射(100〜400μm)のような厚膜摩耗代が必要な部位には不向き |
トラブル事例
用途カード
着陸時の衝撃・摩耗に対応。硬質クロムめっきの環境規制代替として業界標準化が進む。膜厚250〜400μm・Ra0.2μm以下に仕上げる。航空規格(AMS 2447等)に基づく施工管理が必要。
紙・インクによるアブレシブ摩耗に対応。硬さ1100〜1200HVで長寿命を実現。ロール表面を鏡面研磨(Ra0.05μm以下)に仕上げることで印刷品質を確保。定期的な再施工で繰り返し使用。
600〜800℃の炉内でスチール材を搬送するロールに適用。高温酸化・スケール(酸化膜)との摩耗に耐える。母材はステンレス鋼・耐熱鋼が多く、下地ボンドコートを施してから施工する。
高温燃焼ガス雰囲気でのフレッティング摩耗対策。900℃近傍でも皮膜硬さを維持できるCr₂C₃-NiCrが採用される。プラズマ溶射で施工するケースもあり、用途と温度に応じて方式を選定。
施工前の確認事項
①使用温度:最高到達温度が500℃以下か超えるかで材料が分岐する。
②摩耗形態:砥粒摩耗(アブレシブ)か滑り摩耗(スライディング)かで最適皮膜が変わる。
③相手材の硬さ:溶射皮膜より柔らかい相手材は攻撃的に摩耗させる場合がある。
④腐食環境:酸性スラリー・海水環境ではWC-CoCrやCr₂C₃を選ぶ。
⑤仕上げ精度:溶射後の研削仕上げ工程を設計に組み込む(Ra・寸法公差)。
- 使用温度の上限は何℃か(500℃超 → Cr₂C₃-NiCr)
- 摩耗環境はアブレシブ摩耗か高温スライド摩耗か
- 相手材との硬さバランスを確認したか
- 腐食環境がある場合はCo溶出リスクを検討したか
- 施工後の研削仕上げ工程と精度要求を設計に織り込んだか
- 施工業者がHVOF設備と施工実績を持っているか
まとめ
- WC-CoとCr₂C₃-NiCrは同じHVOF溶射サーメットでも適用温度域が異なる:WC-Coは〜500℃、Cr₂C₃-NiCrは〜900℃
- 室温での硬さ・耐摩耗性はWC-Coが上。500℃を超えるとWCが酸化・脱炭して急激に劣化する
- 硬質クロムめっきからの代替はWC-Co(HVOF)が標準。環境規制対応と性能改善を両立できる
- 施工後の研削仕上げを怠ると相手材への攻撃性が増す。表面粗さの管理が品質を左右する
- 選定は「使用温度」「摩耗形態」「腐食環境」の3軸で整理すると迷わない


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