「ステンレスなのに錆びる」——マルテンサイト系ステンレスについてよく聞かれる疑問です。SUS304(オーステナイト系)とは異なり、マルテンサイト系は焼入れで高硬度が得られる一方、耐食性は同じステンレスの中では低めです。それでもナイフ・外科用メス・タービンブレード・軸受に選ばれるのは、「高硬度と耐食性のバランス」が要求される用途が確かに存在するからです。
1. ステンレスの3系統と位置づけ
| 系統 | 代表材 | 特徴 | 磁性 | 焼入れ |
|---|---|---|---|---|
| オーステナイト系 | SUS304, SUS316 | 耐食性最高・非磁性・溶接性良好 | なし(弱磁性) | 不可(加工硬化のみ) |
| フェライト系 | SUS430, SUS444 | 耐食性中・磁性あり・安価 | あり | 不可 |
| マルテンサイト系 | SUS410, SUS420J2, SUS440C | 高硬度が得られる・耐食性はやや低い | あり | 可(高硬度化) |
2. SUS420J2とSUS440Cの比較
| 項目 | SUS420J2 | SUS440C |
|---|---|---|
| 炭素量(C) | 0.26〜0.40% | 0.95〜1.20% |
| クロム(Cr) | 12〜14% | 16〜18% |
| 焼入れ後硬さ | 50〜54HRC | 58〜62HRC |
| 耐食性 | 中(SUS304より低い) | 中〜やや高(Cr量が多いが炭化物析出で実効Cr減少) |
| 靭性 | 中程度 | 低い(高炭素で脆い傾向) |
| 研磨性 | 良好 | 優れる(鏡面仕上げに向く) |
| 代表用途 | 刃物(包丁・ナイフ)、歯科器具、弁部品 | 高硬度軸受、精密機器部品、ノズル |
| 規格対応 | JIS G 4303 | JIS G 4303 |
3. なぜ「錆びるのに使われるのか」
マルテンサイト系は確かにSUS304より錆びやすいですが、次の条件が重なる用途では最適材になります。
硬くないと切れ味が維持できない。SUS304は焼入れできないため刃物には不向き。SUS420J2(50〜54HRC)は「十分な硬度と、台所環境で問題ない耐食性」のバランスが取れている。水洗い後に拭き取れば実用上問題ない。
外科用メスや外科用はさみは高い硬度と切れ味が必要。オートクレーブ(高温蒸気滅菌)に繰り返しかけるため耐食性も必要。SUS420J2がその両立点として広く使われる。SUS304では硬度不足。
食品・医薬品製造設備や海水ポンプでは、軸受に錆びない高硬度材が必要。SUJ2(軸受鋼)は錆びやすいためSUS440C(58〜62HRC)に置き換えられる。耐食性はSUS304には及ばないが、軸受機能と防食性を両立できる。
4. 熱処理と焼入れ条件
| 工程 | SUS420J2 | SUS440C |
|---|---|---|
| 焼入れ温度 | 980〜1050℃から油または空気焼入れ | 1000〜1070℃から油焼入れ |
| 焼戻し温度 | 150〜200℃(刃物用)または600〜700℃(構造用・靭性重視) | 150〜180℃(高硬度維持) |
| 焼戻し後硬さ | 50〜54HRC(低温焼戻し) | 58〜62HRC(低温焼戻し) |
| 注意点 | 425〜595℃での焼戻しは「焼戻し脆性帯」で靭性が極端に低下するため避ける | 同上。低温焼戻し前提の設計が基本 |
マルテンサイト系ステンレスは425〜595℃の焼戻し温度域で靭性が著しく低下する「焼戻し脆性」が起きやすい。この温度域での焼戻しは避け、刃物用途では低温焼戻し(150〜200℃)、構造用では600℃以上の高温焼戻しのいずれかを選択する。
5. SUS304との使い分け
| 判断軸 | SUS304が正解 | マルテンサイト系(SUS420J2・SUS440C)が正解 |
|---|---|---|
| 耐食性の優先度 | 海水・酸・アルカリなど過酷腐食環境 | 水・食品・医薬品程度の腐食環境(乾燥管理あり) |
| 硬度の必要性 | 硬度不要(溶接・深絞り・板金) | 高硬度必要(刃物・軸受・精密部品) |
| 磁性の要否 | 非磁性が必要(MRI室・センサー周辺) | 磁性があっても問題ない用途 |
| 溶接の有無 | 溶接が多い | 溶接を避けられる(ボルト・研削仕上げ主体) |
6. トラブル事例
まとめ
- マルテンサイト系ステンレスは焼入れで高硬度(50〜62HRC)が得られる唯一のステンレス系統。
- SUS420J2(50〜54HRC)は刃物・医療器具・弁部品に、SUS440C(58〜62HRC)は高硬度軸受・精密部品に使われる。
- 耐食性はSUS304より低いが「高硬度と耐食性が両方必要」な用途で最適材になる。
- 425〜595℃の焼戻し温度域は靭性が極端に低下するため回避する。刃物は低温焼戻し(150〜200℃)が基本。
- SUS304との使い分けは「耐食性優先か硬度優先か」「溶接するかしないか」「磁性を避けるか」で判断する。


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